このページは、情報誌「京都」掲載記事からの転載です
1992.7.7発行 1号

 

5代目主人
中村文治
なかむらふみはる

名人と呼ばれた先代の正蔵氏のもと、包丁を握り始めて30有余年、食べることが好きで、作ることが好きで、料理を見ることに喜びを感じることが大切であると語る。「白味噌仕立てのお雑煮」と「ぐじの酒焼き」は逸品と誉れ高い。


 うちの親父はあんまりなにも教えなかったんですが、ただね、非常に厳しい気性の激しい人でして、クーラーのない時分の夏場、仕事してる時に顔に汗かいたら怒られましたね。「仕事もろくにできんのに偉そうに汗かくな」ゆうて…。顔に汗かくと、盛るもんに汗がつくかもしれん、汗かくんやったらお腹にかけといわれました。それから、割烹着を着たら一切トイレは行くなとゆわれました。人さんが口にされるもんを作るんやから、何が旨いとか味無いとかゆうよりも、1番大事なんは清潔感なんや言われまして、そういうことは非常に厳しかったです。味については、最初の味加減で決まらんといかんのです。味を見んでも味が出来てないかん、「なぶりすぎない」ゆうことを言われました。味を見て直さんならんようやったら、この商売やっていく資格はないぞゆうてよう言われました。
 僕は、京都駅とかは、高層建築でも建築の粋を集めたもんでもかまわないと思います。だけども、そこに住む京都の人が、京都人として垢抜けた面をもって、観光都市としての京都にお越しになる人を温かい気持ちで迎えいれられる心の広さというんですか、そういうもんをみんなが持つことが、京都をより良くしていく一番の根底やと思います。京都は千年の都ですからね、せやから、ここ5年や10年の考え方では落ちつかんと思います。少なくとも、百年の大計をもってかからんことにはええもんは出来ないと思います。

なかむら

創業は江戸時代、文化文政の頃にさかのぼる。若狭ものを商って、魚を見る目にかけては名うてと言われた初代は、御所や公家の御用をつとめていたと伝えられる。茶人でもあった3代目から料理の仕出しを始め、高級旅館として名高い「俵屋」「柊屋」「炭屋」などに納めるようになる。現在の料理屋としての姿を確立したのは先代で、主人自らが包丁を握る「一子相伝」は家訓でもある。現在6代目が修業中である。

〒604
京都市中京区富小路御池下る
075-221-5511


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