このページは、情報誌「京都」掲載記事からの転載です
1999.11.7発行 45号
       
 

玉垣嘉一
たまがきよしかず

昭和17年生まれ。立命館大学文学部卒業。在学時代はアルバイトとして、卒業後は本格的に家業に従事する。「子は親を超えなあかんでしょ。とにかく、いつも目標を持つことが大事。」と4代目。


 創業以来、ずっと眼鏡を手作りしてきましたが、二十年ほど前に一度手作りを中断しました。というのも製法上、手作りできない大きい枠の眼鏡が流行り、量産のブランド眼鏡を扱わざるをえなくなったからです。ところが、世の中の動きに流される自分にふと疑問を感じ、もう一度手作りの、うち独自の眼鏡でやっていきたいと決断したのが、ちょうど十年くらい前のことでした。結局、他所の眼鏡を見たらだめですね。今どんなものが流行っているかを気にすれば、その時点で一歩遅れていることになる。けれども、百貨店の洋服やアクセサリー売り場に足を運んだり、お店を訪れる人の格好を注意して見たりすることは私の仕事の一部です。それは装飾品との相性や、顧客層の雰囲気に合わせて私なりの眼鏡を作るために欠かせないことだからです。
 父親からは「人に後ろ指をさされるような商売をするな」と言われてきました。たとえば、うちは値切りません。自分が百パーセントの思い入れをもって、作り上げたものの価値は変わりません。水増しして定価をつけることもなければ、値を落とすこともないのです。宣伝もほとんどしませんが、東京をはじめ、はるばる遠方から来てくれる方もいます。感想を綴ったお便りをよくもらうのですが、このことが制作する者にとって何よりの喜びです。
 流通の発達によってどこででも同じものが手に入る現代だからこそ、京都にしかない洗練されたものを提案したい…。また、とかくスピードが問題にされる昨今、人々が京都に求めるものは、寺社での憩いのひとときやゆったりとした時の流れのようなものだと思うのです。目先の儲けでなく、昔からの京都のリズムがもう少し見直されてもいいと思います。

(がんきょうけんきゅうしゃ)
眼鏡研究社

明治24年(1892)、現在地にて創業。創業以来百余年間に収集・研究したデッドストックを千本以上有し、当時の製法により現代の量産品には真似のできないセルロイド眼鏡など、昔ながらの上質眼鏡を蘇らせる。京都にて活動写真が盛んであった頃は、俳優の眼鏡を制作する仕事も数多く請け負ったという。

〒604
中京区新京極通蛸薬師上る
075-221-0717



【BACK】 【INDEX】【NEXT】

 


【協賛のお願い】